親子の絆が強い信頼で結ばれていれば、子どもの心は安定し、自信が生まれます。たとえ
どんなことがあっても、親は自分の味方になってくれる。どんなときにも自分を守り、支えてくれる。そう思えれば、子どもは親を心から信じることができるのです。
先日、わたしは、あるピアノの発表会に招かれました。十歳の男の子が「胡桃割り人形」のなかの一曲を一所懸命弾いていました。練習不足だったらしく、その子はあまり上手には弾けませんでした。それでも、聴いていた人たちは、大きな拍手をしてあげました。舞台から降りると、男の子はお母さんに走り寄って、膝の上に乗りました。お母さんは、しばらくその子をそのまま抱きかかえていました。お母さんの膝に乗るには、十歳の男の子は大きすぎました。それに、このお母さんは、実はとても教育熱心で、子どものピアノの練習にも厳しい人でした。それでも、男の子が膝の上に乗ってきたときには、そんなことはこのお母さんにとってどうでもよかったのです。
「たとえうまく弾けなくても、お母さんはおまえの味方だよ」ということを、このお母さんは男の子に伝えたかったのだと思います。
これは、とても大切なことです。たとえ失敗しようと、上手にできなくとも、親はいつでも子どもの味方だということを、子どもに教えてほしいのです。
信じる者は強い
神を信じる、あるいはこの宇宙の存在を信じるといったように、「信じる」という言葉は、宗教的な、あるいは精神的なことがらを表現するときにしばしば使われます。
何かを「信じる」とは、どのようなことなのか。もちろん、様々な考え方があることでしょう。宗教を持たない人々でも、何か精神的に信じるものを持っています。自分の存在を超えた、より大きな何かを信じていれば、人生の苦難にも勇敢に立ち向かうことができるものです。「何かを信じる」ということは、信念を持つということです。信念のある人間は、自信を持って人生を歩んでゆくことができるのです。
子どもに自信をつけさせる
子どもは、成長と共に少しずつ自信をつけてゆきます。幼い子どもが「自分でできるよ」と言ったときから、自信の芽は伸び始めているのです。子どもの試行錯誤を見守り、支えつづけてほしい、と思います。
子どもが十分な自信をつけられるようになるまで、親は、何度も繰り返しトライさせることが大切です。それでも、時と場合によっては、手を差し伸べることが必要になります。そのバランスが大事なのです。
五歳のニコルは、ある夜、ベッドにもぐり込むと、お母さんに言いました。
「自転車の補助輪、外してもいい?」
「いいわよ」
お母さんは答えました。そして、翌日、ドライバーを使って二人で補助輪を外しました。けれど、補助輪なしの自転車に乗るのは大変です。お母さんが支えの手を荷台から離すと、ニコルはよろけてしまいます。
その晩、ニコルは言いました。
「また補助輪、つけてもいい?
「いいわよ。明日、つけましょうね」。お母さんは答えました。
次の日の朝、補助輪なしの自転車がニコルを待っていました。
「補助輪をつける前に、もう一度、乗ってみる?」
もしかしたら、うまくいくのではないかと思いながら、お母さんは、さり気なく尋ねました。
「うん、乗ってみる」
お母さんが気楽に言ってくれたので、ニコルも楽な気持ちでやってみようと思えたのです。おかげで、うまくいきました。お母さんが手を離しても、ニコルは走り続けることができたのです。真剣な顔でハンドルを握り締め、自転車を操作することができました。お母さんのやり方が功を奏したのです。ニコルが「また補助輪をつけてほしい」と言うのをお母さんは聞き入れました。その上で、もう一度トライさせてみたのです。ニコルにプレッシャーをかけることなく、さり気なくやる気にさせました。
ニコルは今後も転ぶことがあるでしょう。それは当然です。目標を高く持てば、失敗することもあります。しかし、そんな時こそ、わたしたちは自分を信じ、頑張らなくてはなりません。子どもに自分を信じることを教えるのは、とても大事なことなのです。
子どもに信用される親になる
子どもは、親は約束を守ってくれると期待しています。親の言ったことを信じ、言ったとおりにやってくれると信じているのです。ですから、親は、そんな子どもの期待に応えなくてはなりません。そうすれば、子どもは親を信頼するようになります。
親は、子どもが大きくなるまでに、数えきれないほどの約束をします。親はそのつもりではなくても、子どもは親の言ったことは約束だと思います。たとえば、何時に迎えに行くと言えば、子どもはそれを信じるのです。もし、いつも時間に遅れたり、すっぽかしたりしていたら、子どもは、そんな親を信用できなくなります。自分のことなんてどうでもいいと思っているのだとがっかりしてしまうのです。
もし急用ができて、子どもとの約束の時間に間に合わないとしたら、子どもに電話で連絡すべきです。会社の上司や取り引き先の相手には気を使うのに、子どもにはそうしなくてもよいかといえば、もちろんそんなことはありません。いつも待ちぼうけを食っている子どもや、最後になるまで親が迎えに来ない子どもは、とても悲しそうな顔をしています。子どもの顔は正直です。その日、YMCAの水泳教室が終わっても、まだお母さんは迎えに来ません。友だちはもうみんなそれぞれの車で帰ってしまったのに、最後まで待たせてしまったのです。やっとお母さんが来たとき、七歳のマンディは、ため息をつきながら車に乗り込みました。お母さんは、いつものように弁解を始めました。どうしてこんなに遅れてしまったのかを。
マンディは答えず、虚ろな目をしています。もうお母さんは、信用できません。期待して裏切られるぐらいなら、最初から当てにしないほうがましだからです。お母さんはそういう人なのです。マンディは、諦めてしまいました。とはいっても、心は痛みます。お母さんのことも信じられないし、だいいち、こんな仕打ちを受ける自分が情けないと思います。もし本当に自分のことを大切に思っているなら、こんな思いはさせないように、もっと早く来てくれるはずなのですから……。
わたしは、先日、四年生の女の子たちが週末に映画へ行く計画を立てているのを小耳にはさみました。一人の女の子が、もう一人にこう言っていました。
「あなたのお母さんに車を出してもらおうよ。そうすれば、絶対大丈夫だから」
この子の言葉に、ほかの女の子たちも賛成しました。だれのお母さんがいちばん信用できるか、女の子たちはちゃんと分かっていたのです。
ときには楽しいことも
子どもは毎日新しい体験をし、新たなことを学んで成長しています。ですから、家庭は、いつもおだやかで、安心できる場でなくてはなりません。けれども、そんな平和な家庭生活にも、時には変化がほしいものです。ある土曜日の晩、エレーンの家にスーザンおばさんが遊びに来ました。そして、一緒に食卓を囲みました。八時を回ったころ、おばさんはリビングのみんなを見回してこう言いました。
「誰か、映画に行かない?」
お母さんとお父さんはソファでくつろいでいます。十一歳のエレーンが手を挙げて、大きな声で名のりを上げました。
「あたし、行きたい」
「でも、もう、ちょっと遅くない?」
お母さんが言いました。
「映画は七時ごろからじゃない?」
エレーンは、懇願するような目で、お母さんを見つめました。おばさんが言いました。
「あら、大丈夫よ。レイトショウを見ればいいんだから。今、家を出れば、ちょっとお店を覗けるし、アイスなんかも食べられるし」
「レイトショウ?」
そう言ったお父さんは、「だめだよ」と言いたかったのです。でも、思いとどまりました。レイトショウならば、ずいぶんおそくまで起きていることになります。けれど、今日は土曜日ですし、時にはこんなふうにスーザンおばさんと楽しい一夜を過ごすのもいいだろうと思ったのです。お父さんは、お母さんに言いました。
「いいじゃないか。明日は遅くまで寝ていられるんだし、たまにはスーザンと出かけるのも楽しいだろう」
「ほんとうね。でも、映画が終わったらすぐ帰ってくるのよ」
お母さんは言いました。
「楽しんでいらっしゃい」家庭生活の習慣を破るような楽しい出来事を体験させるのも、子どもには大事なことです。そんなわくわくする体験を、子どもは一生覚えています。日常生活から離れた新鮮な体験だからです。
エレーンたちが帰ってきたのは、夜中でした。しかしそれは、エレーンにとって忘れられない楽しい一夜になりました。
「夜の街うて、匂いまで違うの! 知らなかった!」
エレーンは、両親に「ありがとう」と言いながらお休みなさいをしました。
自信とは、自分を信じること
自分を信じて決断することが、わたしたちの行動の原動力になります。子どもも同じです。自分の考えがあやふやで、自信がなければ、人にふりまわされる弱い子になってしまいます。そんな子にしないためには、まず親が子どもを信じることが大切です。十歳のアンドリューがキャンプ場から家に電話をしてきました。友だちとトラブルがあったのです。
「そいつ、カヌーで組もうって、自分から言ってきたくせに、湖に着いたら、ぼくを無視して、他の子と組んだの。それに、アーミーナイフを貸したら、返してくれないんだ。それに、漕いでるときのぼくの顔は、アヒルにそっくりだって言うんだよ」
お父さんは、240キロ離れた場所から聞こえてくる息子の声に、じっと耳をすませました。今すぐ車に飛び乗り、キャンプ場へ行き、先生と話したいと思いました。でも、気を落ち着けて、こう息子に尋ねました。
「それじゃ、アンドリューはどうすればいいと思う?」
息子は答えて言いました。
「あのね、ぼく、他の友だちとカヌーに乗ったんだ。それにさ、アヒルに似てるとしたら、すごく速いアヒルだと思うよ。だって、競争で三等だったんだもん」
「そうか。偉いぞ、アンドリュー」
「ナイフを返せって、あいつに言ってやるんだ。キャンプでいるんだもん。返してくれなかったら、先生に言いつけてやる」
「そうだよ。それでいいんだよ」
お父さんは、強く言いました。
アンドリューは、自信を持って相手に抗議するつもりです。第三者から見れば、当然のことに見えるでしょう。けれども、なかには、似たような目に遭っているのに、そのまま抗議することができない子もいます。お父さんは、この子なら自力で解決できると、アンドリューを信じたのです。
親なら誰しも、子どもが、自分自身を信じ、人も信じることのできる子に育ってほしいと願います。また、人にひどいことをされた時には、きちんと抗議できる子になってほしいとも思うものです。子どもが、人との約束を守り、人から信頼される子に成長してほしいと思うのです。
自信は子どもの将来を決める
親は、子どもとずっと一緒にいられるわけではありません。しかし、子どもの時代をとおして、どんなことがあっても、親はいつも子どもの味方だということを教えることはできます。そうすれば子どもは、大人になってからも、強く生きていける子に育ちます。
子どもに自信をつけさせることは、子どもの将来への、親からの大きな贈り物です。自分を信じられる子は、将来、仕事でも力を発揮することができるでしょう。自分の力で道を切り拓いてゆくことができるはずです。また、人を信じることができれば、よい恋をし、愛し合い、温かい家庭を築くことができるようになるものです。
自信がなく、自分を信じることができなければ、人生に対して悲観的になりがちです。そして、すぐに挫けてしまうようになってしまうものです。自分にはできる、自分は人にもやさしくできると信じられれば、どんなときでも挫けず頑張ってゆけるのです。自信のある子に育てるのは、決して難しいことではありません。親の育て方次第なのです。それには、子どもを信じ、可能性を信じることが何より大切です。子どもへの信頼を子どもに伝えてください。子どもは、そんな親に支えられて、自分を信じ、伸びていくのです。