婦人科 京都 健康スポーツ医。いとう女性クリニック 京都では、腹腔鏡下手術、子宮内膜症・卵巣嚢腫、子宮筋腫、月経不順、ピル・アフターピル処方、更年期障害の診察・診療をいたします。土曜・日曜診療有り。

いとう女性クリニック

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子どもの事故防護活動 --- 子どもが育つ魔法の言葉

5. 子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる

 人間には、人を馬鹿にして面白がるという残酷な一面があります。
「だだの冗談だよ。冗談もわかんないの?」。こう言われてしまえば、馬鹿にされた人は、それ以上返す言葉がありません。何を言っても無意味です。言い返せば、ますます馬鹿にされてしまうからです。かといって、黙ってしまえば、プライドは傷ついたままです。
特に、幼い子どもは、馬鹿にされると、どうしていいかわからなくなってしまいます。そのまま我慢するべきなのか、それとも相手を避けるべきなのか、判断できないのです。これは、ブレーキを踏んだままアクセルを吹かすような、にっちもさっちもいかない状態です。
子どもはジレンマに陥ります。そして、おどおどし、なるべく目立たないように影に隠れるようになってしまうのです。
子どものなかには、人から馬鹿にされて引っ込みじあんな性格になってしまう子もいます。そんな子の場合は、もともとおとなしい性格の子とは違うのです。おとなしい子というのは、人と親しくなるのに時間のかかる子です。それは、その子の性格の一部なのです。一方、人に馬鹿にされるのが怖くておとなしくしている子の場合は、これとは違います。このような子どもの場合は、わたしたち親が話を聞き、手を差し伸べなくてはなりません。

いじめから子どもを守る

 人を馬鹿にするとき、わたしたちは笑います。これは、人をおとしめて、あざ笑っているのです。人を馬鹿にするとは、人をあざ笑うことだとも言えるでしょう。笑いは、人の心を和ませ、仲間意識を強めるものですが、人をあざ笑うというのは違います。その人にいやな思いをさせて笑いを引き起こすからです。子どもにとっては、その区別はなかなかつきにくいものです。漫画や漫才で、人の失敗を笑う習慣がついているからなのかもしれません。壁にぶつかったボケ役を見て、わたしたちは笑います。親は子どもに、ギャグの世界と現実とは違うのだということを教えなくてはなりません。現実に人が転んだり怪我をしたりしたら、笑う前に助けてあげなくてはいけないのだと言ってきかせたいものです。その区別がつかないと、人が困っているときに笑ったり、友だちと一緒にはやしたてたりする子になってしまいます。
十歳のスコットは、あまり運動神経がよくありませんでした。ある日、近所の子どもたちと野球をしていて、スコットにバッターの番が回ってきた時のことです。敵チームの子どもたちは、一見応援するかのように、スコットをはやし始めました。
「スコット! スコット! スコット!」
声はどんどん大きくなります。
初め、スコットは、応援されているのだと嬉しく思いました。でも、一回二回と空振りをして、ますますはやし声が大きくなったとき、自分は馬鹿にされているのだと気づきました。スコットは、一瞬頭の中がまっ白になり、怒りがこみあげてきました。スコットは、もう一度空振りをし、三振になりました。はやし声は、守備につこうとするスコットを執拗に追いかけてきます。もうスコットの顔はまっ赤です。くやしくて泣きそうです。ここで抜けてしまうか、黙って試合を続けるべきか、スコットはどうしたらいいのか分かりません。
馬鹿にされている子は、最初はそのことに気づかないものです。みんなの笑いや野次が何を意味するのか、すぐには分からないのです。スコットもそうでした。みんなが楽しそうに笑っていれば、だれでも一緒に笑いたくなるものです。しかし、みんなは自分をあざ笑っていたのだと気づいた瞬間、本人は恥ずかしさでいっぱいになります。そして、どうしていいかわからなくなってしまうのです。
もし、これからも、しょっちゅうこんな目に遭ったとしたら、スコットは、近所の子どもたちと遊ばなくなるでしょう。馬鹿にされたらどうしようと思っただけで、子どもは、怖気づきます。そんな子どもは、何事に対しても引っ込みじあんになってしまうのです。そうなってしまえば、後は悪循環です。ほかの子は、その子のおどおどした態度につけこんで、ますます馬鹿にするようになります。その子は、いじめの格好の餌食にされてしまうのです。
こんな役回りを背負わされるのは、本当に辛いものです。しかし、仲間外れにされるよりはましだと思って、子どもは耐えてしまうのです。
いじめにあっていることを、子どもはなかなか親に言えないものです。恥ずかしくて話せないのです。親に言っても無駄だと思う子もいるかもしれませんね。たしかに、親が介入して、かえっていじめがエスカレートする場合もあります。しかし、子どもを励まし、守ることはできるはずです。いじめに負けずにほかの友だちを探すようにと、親は子どもに言ってきかせなくてはなりません。
自分の子がいじめる側になっている場合もあるでしょう。まさかわが子がそんなことをと、親はショックを受けるに違いありません。けれど、「そんなことしちやダメだよ」「いじめは悪いことだよ」とだけ言っても、効き目はないでしょう。子どもは、親に隠れていじめを続けるに違いありません。こういう子には、人に対する思いやりの気持ちを一から学ばせなくてはならないのです。
「もしあなたが同じことをされたら、どんな気持ちがすると思う?」
「そんなことを言われた人が、どんな顔をしたか、憶えているかい?その人がどんな気持ちだったか、考えてみたことがあるかい?」
こんなふうに、子どもに問い質すべきなのです。
子どもに思いやりを教える一番の方法は、親が子どもを思いやることです。子ども自身が人から思いやりを受ける経験をしていれば、人の気持ちに敏感になり、人にやさしくなるものなのです。

いじめに対して親ができること

 いじめを直接やめさせることはできなくても、親としてできることはたくさんあります。
子どもの様子にいつもと違ったところはないか、日頃から気を配ってください。急に元気がなくなったり、無ロになったり、精神が不安定になったりしてはいないでしょうか。
もし、子どもが、いじめに遭っていると打ち明けたら、まず真剣に話を聞くことです。
「たいしたことじゃないよ」「気にしなければいいのよ」「別に相手は本気で言ってるわけじゃないだろう」などといって軽く受け流すようなことは絶対にしてはいけません。傷ついた気持ちを正直に話せるように、子どもの話をじっくり聞くことが第一なのです。まだ幼稚園か小学校に通っている幼い子どもなら、学校の先生に相談し、協力してもらうことも必要です。これは、いじめている子を叱ってもらうためや、わが子を守ってもらうためではありません。教師と親との協力体制を組むためなのです。
小学四年生のクレアは、クラスの女の子たちにいじめられ、仲間外れにされています。担任の先生は、クレアの様子が変だと気づきました。クレアのお母さんからも電話がありました。クレアは、毎晩布団の中で泣いていて、朝学校へ行きたくないと言うのです。先生と両親は相談し、どうしたらいいかを考えました。
その結果、こんなふうに協力体制を組みました。学校で、いじめグループがクレアに近づいてきたら、先生が、さり気なくクレアを他の子どもたちの方へ連れていくようにします。
家庭では、両親がクレアと、本当の友だちとはどういうものなのかをよく話し合うことにしました。新しい友だちを作るにはどうしたらいいのかを親と子で考えることにしたのです。
こんなふうに両親と先生とに支えられて、クレアはいじめを乗り越えることができました。
そして、友だちになれる子たちだけと付き合えるようになったのです。

子どもから教えられる時もある

 わたしたち親自身が、時には、気づかぬうちに、いじめを行なっていることがあります。
わたしたちは道ゆく人のことや、ちょっとした知り合いの人のことをけなしたりすることがあります。また、悪意のあるジョークでそこにいない人のことを傷つけて、その場を盛り上げたりすることもあります。わたしたちは、知らない人のこと、あるいはその場にいない人のことを言っているので、自分がひどいことをしているという自覚がありません。しかし、それを聞いている子どもは、どう思うでしょうか。子どもはそんなわたしたちの姿から、人のことを悪く言ってもかまわないのだと学んでしまうのです。
あるお母さんが、わたしにこんな話をしてくれました。
「近所のショッピングセンターに、ときどき、道端に立って、通りかかる車に手を振っている若い女の人がいましてね。その女の人は、いつも、歩きながら笑ったり歌をうたったりしているんです。ある時、わたしがスーパーから出ると、その人が立っていました。すると、わたしの前を歩いていたお母さんが、七つぐらいの娘さんに『ほら、頭の変な女の人よ』と言いました。娘さんは『お母さん、どうしてそんなこと言うの』と怖い声で答えました。
『頭が変だなんて、そんなひどいこと、お母さんが言われたらどうするの?』
わたしは、ちょっとおどけた声で『ルンルンの人って、わたしは呼んでますよ』と言いました。女の子はニコッとしました。そのお母さんも、ばつが悪そうに笑って『ほんと、ルンルンの人ね』」
ときには、親の方が子どもに教えられることがあるものなのです。

家庭内のいじめ

 わたしたち親自身が、子どもを馬鹿にしたり、からかったりしてしまうこともあります。
親御さんによっては、それでわが子が鍛えられると思っているのかもしれません。しかし、言うまでもなく、本当の強さは、人から馬鹿にされたりからかわれたりして育つものではありません。保身に回るというよくない処世が身についてしまうだけです。これは、本当の強さではありません。
ピートのお父さんは、若いころはサッカーの花形選手でした。十二歳になる息子のピートは、今、地域のサッカーチームでトーナメントを目指して猛練習中です。お父さんは、ピートはもっと積極的に攻めるべきだと不満に思っています。それで、練習中のピートに、がんがん野次を飛ばします。けれど、それはピートにとっては、みんなの前で恥をかかされているだけのことだったのです。
「なにやってんだ! ボケッとつっ立ってんじゃない。どこ見てんだよ。ボールを追え、ボールを!」
サイドラインからお父さんは野次りました。ピートは頷き、歯を食いしばって走りだします。でも、頭にきて、もう集中できません。
お父さんはよかれと思ってしていることでしょう。息子のプライドを傷つけるひどい野次を飛ばしているなんて思ってもいないはずです。あるいは、自分が昔言われたことを言っているだけなのかもしれません。けれども、これは、ピートのためにもお父さんのためにもなりませんでした。
兄弟の間では、けなす言葉はもっとエスカレートすることがあります。明からさまにからかったり、あげ足を取ったりするのです。兄弟は、互いの弱点を知り尽くしているので、いくらでもけなす材料はそろっているというわけなのです。
ジルは、弟が、引っ越してきた近所の男の子と仲良くなりたがっているのを知っていました。二人ともスケートボードを持っていて、歳もだいたい同じだったのです。それで、ジルは、二人がスケートボードで遊んでいると、自転車で通りがかりざまにこう叫びました。
「やーい、ねしょんべん小僧。昨日もねしょんべんしただろう」
これは、無邪気なからかいではなく、弟を傷つける残酷ないじめです。日頃、兄弟からこんないじめを受けていると、子どもは、友だちともうまく付き合えなくなってしまうことでしょう。親は、兄弟の間で何が起こっているのかを、いつも注意して見ていなくてはなりません。親は、いじめている子を戒め、兄弟みんなが安心して暮らせるように気を配らなくてはならないのです。

家庭が安らぎの場になっているか

 どんな子どもも、いじめやからかいの対象になる可能性はあります。親がいつも守ってはやれません。けれど、家庭がくつろぎの場であり、心からほっとできる場所であれば、子どもはそれだけで救われます。そして、親自身が、人の弱さや欠点を受け入れられる心の広い人であれば、家庭は、子どもが心から安らげる暖かい場所になることでしょう。たとえ失敗しても許してもらえるのだという安心感があれば、子どもの心は明るくなります。わたしたち大人も失敗だらけで、時には自分で自分を笑うこともあるでしょう。人を笑うのではなく、自分で自分の失敗を笑い飛ばせる家族、そしてそれを許せる家族。そんな家族であれば、子どもは本当の強さを身につけてゆくはずです。

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