婦人科 京都 健康スポーツ医。いとう女性クリニック 京都では、腹腔鏡下手術、子宮内膜症・卵巣嚢腫、子宮筋腫、月経不順、ピル・アフターピル処方、更年期障害の診察・診療をいたします。土曜・日曜診療有り。

いとう女性クリニック

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子どもの事故防護活動 --- 子どもが育つ魔法の言葉

1. けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる

 子どもは、スポンジのように親の言葉や行動のすべてを吸収し、学びます。親がまねてほしくないと思っていることも、覚えてしまいます。ですから、もし、親が、わが子のことだけでなく、他人や世の中にも不満だらけで、いつも文句ばかり言っていたとしたらどうでしょうか。子どもは、そんな親から、人をけなすことを覚えてしまうでしょう。そして、自分自身のことも責めるようになってしまいます。物事のいい面をではなく、悪い面を見て生きていけと、子どもは教わってしまうのです。
 不満だらけの親の気持ちは、ものの言い方や、ちょっとした仕草や目つきに表れます。 相手に不満があるときには、自然に目つきや物言いがきつくなるものです。小さな子どもは、こういう親の態度にとても敏感で、傷つきやすいものです。たとえば、「もう寝る時間ですよ」という一言にしても、言い方しだいで、まったく違うた意味をもちます。いつも子どもにイライラしている親は、「なにをぐずぐずしているんだ」という非難をこめて、この一言を発するでしょう。子どもは、自分が責められていることを感じとります。そして、自分は愚図なのだと思ってしまうのです。
 もちろん、わたしたちはだれでも、時には不機嫌になることがあります。つい小言や文句を言いたいときもあるものです。けれども、いつも不平不満を口にし、人の欠点をあげつらっているとしたら、話は別です。親がいつもそんなふうだとしたら、家の中は暗く、とげとげしくなってしまうでしょう。家庭を、そんな場所にはしたくないものです。家庭とは、子どもがのびのびできる安らぎの場であるはずです。そんな家庭をつくることが親の役目ではないでしょうか。

ついカッとなってしまったら

 六歳のアビーは、台所のテーブルの上で、摘んできた花を花瓶にいけようとしていました。と、急に花瓶がひっくりかえってしまいました。花は散らばり、あたりは水浸しです。
アビーは自分も濡れたまま、ただ泣いています。飛んできたお母さんは、カッとなって、怒鳴りました。
「なにやってるの! ほんとに、ぶきっちょなんだから!」
 わたしたちは、ついカッとなって、こんなふうに子どもを怒鳴りつけてしまうことがありますね。もちろん次の瞬間には後悔するのですが……。疲れているときや、ほかのことで頭がいっぱいのときはなおさらです。しかし、こんなふうに子どもを怒鳴りつけてしまったら、すぐに態度をあらためるべきなのです。そして、これ以上子どもを責めたてないようにしなくてはなりません。アビーのケースもそうです。お母さんが冷静になり、怒鳴ったことを謝れば、後片づけはずっとスムーズにゆくでしょう。そうすればアビーは、花瓶を倒したことは悪かったとは思っても、自分が悪い子だとは思わずにすみます。アビーを責めつづけたら、アビーは、自分はぶきっちょでダメな女の子なのだと思うようになってしまうのです。
 子どものためにならないとは分かっていても、わたしたちは、ついカッとなってしまうものです。カッとならないためには、意識的に気持ちをコントロールしなくてはなりません。
 たとえば、アビーのお母さんは、アビーを叱りつけるのではなく、「どうして花瓶を倒しちゃったの?」と、アビーの行動について問いかけるべきなのです。そうすれば、アビーは、劣等感を植えつけられることはありません。お母さんは、なぜ花瓶を倒してしまったのか、そのときの状態をアビーに話させるべきでした。どうしたらうまくいったのか、それを一緒に考えさせればよかったのです。そうすれば、アビーは、失敗の経験から学ぶことができたでしょう。
 事前に段取りをとっておき、やっていいことといけないことを子どもに言いきかせておけば、避けられる事態もあります。子どもは、親を怒らせたくて何かをしでかすわけではありません。ですから、親が、最初に、していいことといけないことを、はっきり伝えておくべきなのです。実際に何をしたらいいのか、それが分かるように、その子の年齢に合った、無理のない助言や具体的なアドバイスを与えてください。
 ある雨降りの日、友だちと遊んでいた四歳のペンは、粘土で動物を作りたいと言いだしました。家計簿をつけていたお母さんは、めんどうくさいと思いました。でも、立ち上がり、こういう時のために取っておいた古いシャワー・カーテンを持ってきました。そして、それを広げながら、言いました。
「まん中で遊んでね。粘土がこぼれないように。これで、たくさん作れるわよ」
 子どもたちは、粘土をこね始めました。ベンが言いました。
「包丁、使っていい?」
 お母さんは答えました。
「包丁は、だめ。危ないから。おもちゃじゃないのよ。クッキーカッターなら、使っていいわよ」
「わかった。じゃ、へらも使っていい?」。ベンは尋ねます。
 お母さんは「いいわよ」と返事をしながら、クッキーカッターとへらを取り出しました。
そして、こう一言ベンに言いました。
「いい? ちゃんと、おかたづけもするのよ」
 ベンのお母さんは、最初はちょっとめんどうくさいと思ったでしょう。でも、きちんと用意をしたおかげで、カーペットにこびりついた粘土を剥がしながら、子どもを叱りつけるはめにならずにすみました。それに、粘土遊びの小物に何を使うかも、子どもと言葉を交して、あわてずに選ばせることができました。たとえめんどうだとは思っても、できるだけ子どもの要望を尊重してください。そうすれば、子どもは自分が認められているのだと感じ、しっかりしなくてはと自覚するようになります。
 そうは言っても、現実には、忙しかったり、そこまで気が回らなかったりすることはよくあることです。ある時、わたしの友人は、四歳になる娘のケイトがぐずぐずしているのを急き立てて、外出しました。その日は用事がたくさんありました。それに、ケイトの髪のカットにも行かなくてはならなかったのです。
「いそいで。カットに行くんだから。遅れちゃうわよ」
お母さんは言いました。
 と、突然、ケイトは行きたくないと駄々をこねだしました。お母さんはあきれて、ケイトに、「わがままだ」と言いました。ケイトは、その言葉がショックだったのでしょう。そのまま黙り込んでしまいました。
大人からすれば、つい口が滑って出てしまった言葉だったのでしょう。けれども、子どもにはそうは思えません。ケイトは、お母さんに、「おまえは、わがままだから、悪い子だ」と言われたと思ったのです。
 ケイトは、しばらくして、気が落ち着きました。そして、実は前髪をこのまま伸ばしたいのだと打ち明けました。お母さんは、なんだ、そんなことだったのかと思い、わが子の顔をまじまじと見て言いました。
「分かったわ。お店の人に、そう言って、前髪は切らないようにしましょうね」
もし、お母さんが、朝の食卓で、カットについてケイトときちんと話をしていたら、二人とも、こんないやな思いはしなくてすんだはずです。
 もちろん、どんなに気をつけていても、どうしても、子どもと衝突してしまうことはあるものです。大切なのは、そんなとき、どう接するかです。できるだけ、事情が許すかぎり、子どもに歩み寄ってください。ケイトのお母さんは、ケイトの要望を尊重し、聞き入れました。今回は、前髪を切らないという小さな事でした。しかし、こういう小さな事の積み重ねが、親に対する信頼を育てていくのです。そして、こんな積み重ねが、子どもが思春期に入ったとき、ものを言うのです。子どもが、自分の親は気持ちを受けとめてくれる親だ、信頼できる親だと思っていれば、将来、何か問題がもちあがったときにも、親に相談し、一緒に解決していこうと思うようになるのです。

上手な叱り方

 親が子どもを叱るのは、たいてい、子どものためを思ってのことです。わたしたちの親も、今思えば、そうだったに違いありません(虫のいどころが悪いときには、どうしても、きつい言葉で叱ってしまうものではありますが……)。
 しかし、子どもには、親が子どものためを思って叱っているのだということが分かりません。子どもは、叱られると、頑張ろうと思うよりも、がっくりしてしまいます。特に、幼い子どもは、叱られると、自分が嫌われているのだと思ってしまいます。自分のやったことを正されているだけなのだとは思えないのです。
 では、上手な叱り方とは、どのようなものなのでしょうか。
 まず、叱る前に、言葉を選ぶことです。子どもの心を傷つけるようなことを言ってはいけません。その子のやったこと、つまり、その子の行動を正すような言葉を使ってほしいのです。子どもの反応を見ながら、叱る言葉を選ぶのです。その子のやったことは間違っているが、その子を嫌いだから叱っているのではない、ということを伝えてほしいと思います。
 ある日のことです。窓ガラスの割れる音を聞いた瞬間、ウィリアムのお父さんは、とうとうやったな、と思いました。お父さんは、リビングへ向かいました。床の上には割れたガラスが散らばっています。庭先には、八歳の息子が怯えた表情で立っていました。息子の足元には野球バットが転がっています。リビングの床の上にはボールが落ちていました。
「窓の近くで野球はしない約束だろう?」
 お父さんは言いました。
ウィリアムはうつむき、小さな声で言いました。
「うん。でも、気をつけてやってたんだよ……」
「気をつけてたら、やってもいいのか?」
お父さんは厳しい声で言いました。
「窓のそばではやらない約束だろう」
「ごめんなさい」
謝れば済むと思って、ウィリアムは言いました。お父さんは、そんなウィリアムの顔を見つめながら、こう言いました。
「そうだな、ガラスは、おまえが弁償しなさい。当分、おこづかいはなしだぞ」
 ウィリアムは、このお父さんの言葉に、やっと事の重大さに気がついたようでした。がっくりと肩を落としています。それを見たお父さんは、声を和らげて言いました。
「お父さんも、ウィリアムぐらいの時、窓ガラスを割って、おじいちゃんに叱られたんだよ。弁償しなさいって」
ウィリアムの顔が少し明るくなりました。
「ほんと?」
「ほんとだよ。ずっと、おこづかいがもらえなかったんだよ。でも、それでこりて、二度とガラスは割らなかった。さあ、箒と塵取りを取っておいで。いっしょにここを片づけよう」 子どもをいつまでも叱るのは、逆効果です。人間はだれしも間違いを犯すものです。それに、避けられない事故もあります。そういうとき、頭ごなしに子どもを叱りつけないようにしましょう。大切なのは、子どもが失敗から学べるように導くことです。なぜこういう結果になってしまったのかを理解させ、きちんと後始末ができるようにリードしてゆければよいのです。

小言を言っても子どもはよくならない

 子どもに小言を言い、やることなすことにいちいち文句をつけるのも、子どもの意欲を挫きます。それは、頭ごなしに叱りつけるのとおなじくらい、子どもにとっていやなことだからです。子どもは、「だめな子だ。なにもきちんとできない」と言われているように感じるのです。これでは、子どもはやる気を失ってしまいます。そして、親はますます小言を言うことになる……こういう悪循環に陥ってしまいます。まだ小さな子どもでも、文句ばかり言う親にはうんざりして、聞こえないふりをするようになります。思春期に入った子どもなら、完全に無視するという反抗的な態度に出るかもしれません。
 では、親は、どうするべきでしょうか。
「きっとできるはずだ」という肯定的な言い方をすることです。「どうせできないはずだ」という否定的な言い方は避けてほしいのです。たとえば、
「また、おもちゃ、出しっぱなしなんだから」ではなく、「おもちゃ、入れておいてね」
「また、ソックス、脱ぎっぱなしなんだから」ではなく、「ソックス、洗濯籠に入れておいてね」。
 こんなふうに言うとよいのです。そうすれば、受ける印象は大違いで、子どもは気持ちよく聞けます。まだお手伝いの仕方が分からない幼い子どもには、こういう肯定的な言い方が特に大切です。そして、きちんとできたら、必ず誉めてあげるのです。
「ブロックがしまえて、本当に、偉いわね」
 子どもは、こんなふうに肯定的な言い方をされれば、親の期待に応えようと、頑張るようになるものです。
 子どものやったことに、いちいちケチをつけるのは、逆効果になるだけです。文句が言いたくなるのは、その子がどれだけできたかではなく、どれだけできなかったかを見てしまうからです。こんな否定的な物の見方は、大人だっていやだと思いますね。文句を言うくらいなら、どうすれば文句を言わなくてすむか、その対策を考えて行動に移すべきではないでしょうか。子どもも、そんな親の姿を見れば、手を貸したいと思うでしょう。文句ばかり言って何もしないような人間に、子どもを育てたくはないものです。
考えてみれば、わたしたちは、毎日ずいぶん文句を言って暮らしています。仕事のこと、他人のことはもちろん、天気にまでケチをつけています。もちろん、わたしたち人間というものは時には文句を言い、愚痴をこぼしたくなるものです。しかし、だからといって、いつも子どもに愚痴ばかりこぼしていてもいいかといえば、決してそんなことはありません。
 子どもに、配偶者の悪口を言うのも、よくないことだとわたしは思います。たとえば、お母さんが、いつもお父さんの悪口を言っていたらどうでしょうか。子どもは、お母さんの味方をしなくてはならないと思って、いやいやお父さんを敵にまわさなくてはならなくなります。それは、子どもには辛いことです。お母さんとお父さんの間に挟まって、どうしていいか分からなくなってしまうからです。
 おじいちゃんやおばあちゃんの悪口も、よくありません。子どもにとって、自分を可愛がってくれるおじいちゃん、おばあちゃんは、特別な存在です。親族間に問題があっても、子どもの前では、できるだけその話題は避けてほしいのです。もちろん、それは難しいことです。しかし、親族間のいざこざは、いずれ子どもにも分かることです。幼いうちからそのような重荷を背負わせるのは、子どもにとって酷なことです。
 わたしたち親は、子どものために、一族が礼儀正しく節度をもって付き合っている姿を見せる努力をしたいと思います。子どもは、大人たちの姿から、人間関係のあり方を学んでゆくのですから。

子どもから学ぶ

 子どもは日々親から学んでいます。それと同じように、実は、親も、日々子どもから学んでいるのです。
家族で出掛けた帰りの夜のことです。七歳と八歳の男の子は、車の中でも元気いっぱいでした。お父さんとお母さんは、後で寝かしつけるのが大変だと思っていました。さて、家に着いて、みんなは車から降りました。と、弟の方が、夜空を見上げて言いました。
「ねえ、ちょっと星を見ていてもいい?」
 お父さんとお母さんは、立ち止まり、どうしようかと迷いました。
「なに言ってるの。もう遅いんだから。寝る時間でしょう」
 そう言いたいところだったのです。けれど、お父さんとお母さんは、一緒に星を見ることにしました。息子たちの顔は、楽しそうに目を輝かせて星を見上げました。
 子どもたちは、星を見たかったのです。「星を見る」というのは、「星を眺める」というのとは違います。大人は、見慣れた風景の一部として星を「眺める」だけです。けれども、子どもは、驚きに目を見張って、星を「見る」のです。子どもには、大人とはまったく違った世界が見えるのです。そんな子どもから教えられ、子どもの視線で世界を見ることができたら、わたしたち大人も、ずいぶんすばらしい経験をすることができるのではないでしょうか。

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