婦人科 京都 健康スポーツ医。いとう女性クリニック 京都では、腹腔鏡下手術、子宮内膜症・卵巣嚢腫、子宮筋腫、月経不順、ピル・アフターピル処方、更年期障害の診察・診療をいたします。土曜・日曜診療有り。

いとう女性クリニック

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子どもの事故防護活動 --- 子どもが育つ魔法の言葉

9. 広い心で接すれば、キレる子にはならない

 我慢強いとは、どのようなことでしょうか。それは、現実を受け入れ、現実を認めるということです。ぐちぐちと文句を言いながら、いやいや我慢するということではありません。たとえ最悪の状況であっても、腹を決めて、できるだけの努力をするのです。そうすれば、きっと状況は良くなります。ベストを尽くせば、それだけで気持ちが明るくなります。そして、実際に、最終的にはよい結果が出るものなのです。
あと数日で六年生の新学期が始まるというときに、キーシャは脚を折ってしまいました。クラスのみんなが新学期を迎えているとき、キーシャは脚にギプスをして家でじっとしていなければなりませんでした。
この状況をどう捉えるかはキーシャ次第です。なんてみじめなんだろうと落ち込んでも無理のないことです。けれども、キーシャは、この現実を受け入れ、前向きに考えました。キーシャは、お母さんに手伝ってもらって、友だちを家に呼んでギプスパーティーを開くことにしたのです。ギプスに色を塗ったり絵を描いたりするパーティーです。学校の帰りに仲良しの友だちが何人かやって来ました。そして、ギプスに絵を描いたり、クッキーを食べたり、レモネードを飲んだりしながら、楽しくおしゃべりしました。キーシャは、こうして、脚を折るという不運な出来事を、友だちとの楽しいひとときに変えることができたのです。

子どもは待つのが苦手

 辛抱強く待つのは、大人にとっても簡単なことではありません。けれども、すぐに癇癪を起こしたり、イライラしたりすれば人に嫌われてしまいます。ですから、わたしたちは、我慢してじっと待つのです。大人にさえ難しいことですから、幼い子どもにとっては、待つことはとても難しいことです。幼い子どもは、他の人がどう思うかということがまだわかりません。ですから、周りにおかまいなしに泣いたり叫んだりします。また、まだ時間の観念がないのも、待てない原因の一つと言えます。「あとどのくらい?」「もう終わり?」「まだなの?」「いつなの?」。幼い子どもは、時間の経過というものがはっきりと理解できません。そのために、こんな言葉を使って何度も親に問いかけたりするのです。待つことを教える機会は、毎日の生活のなかにたくさんあります。
「お腹が空いた!」
こんなふうに子どもが待ちきれずに叫んだとします。そうしたら、料理には時間がかかる
のだということを説明しましょう。パスタをゆでて、野菜を切って、オレンジの皮を剥かな
くてはならないのだと、具体的に教えるといいでしょう。
「氷がほしい!」
そう子どもがねだったとします。そうしたら、アイストレーを見せながら、水が氷になるには時間がかかるのだと説明しましょう。これは科学の勉強にもなります。子どもがイライラしだしても、親は腹を立てずに、子どもの気持ちをまず分かってあげてほしいのです。そして、その事になぜ時間がかかるのかを説明し、納得させるのです。
子どもは、お店で列に並んだり、長時間車に乗ったりすることが特に苦手なものです。しかし、こういう時こそ上手な待ち方を教えるいい機会なのです。たとえば、子どもと一緒に列に並んだ時のことを考えてみましょう。こんな時は、学校のことや、今まで話したくても話せなかったことを話し合ういい機会です。車のなかで子どもが退屈したときにはどうでしょうか。たとえば、こんなゲームをしてみてはどうでしょう。幼い子どもだったら、すれ違うトラックや赤い車の台数を数えさせる、通りすぎる白い家の軒数を数えさせるのです。退屈な時間が楽しいゲームの時間に変わります。
子どもは、待ち遠しいと思う気持ちも、なかなか押さえることができません。子どもにとって、休みの日は格別です。もう、わくわくして待ちきれません。でも、こんなわくわくした気持ちがあるからこそ、親が上手に教えれば、子どもは、時間の経過の概念や待つことの大切さを学ぶことができるのです。たとえば、子どもに、カレンダーの見方を教えて、一日、一週間、一カ月単位の時の経過の概念を教えることができます。小学校に入る前の子どもなら、専用のカレンダーを与えて、楽しみにしている特別な日にシールを貼らせるのもいい方法です。その日が近づいてきたら、たとえば、この日にはクリスマスの飾りつけ、そしてこの日には誕生日のプレゼントを作るなど、その日のための準備をする予定をたてるのです。そうすれば、特別な日はより強く意識され、その日を待つまでの日々も充実したものになるでしょう。

子どもに待つことを教える

わたしたち親自身が、日常生活のなかで、ちょっとした不都合や不便にいちいち腹を立てていたらどうでしょうか。それでは、待つことや我慢することの大切さを子どもに教えることはできないでしょう。わたしたちは、大人になる過程で、自分を押さえて我慢する術を学んでゆきます。たしかに、我慢するのは楽しいことではありません。しかし、だからこそ、日頃から子どもの良いお手本になるように努力したいものだと思うのです。家への帰り道、お父さんと十歳のエリックは、渋滞に巻き込まれてしまいました。車はほとんど動きません。少しでも前に進もうと、車線を変える車が出てきました。
「ねえ、パパ、割り込んじゃえば? あっちの車線のほうが動いてるよ」
エリックは我慢できずにお父さんに言いました。
お父さんは、エリックに教えたいと思い、こう言いました。
「車線を変えても、結局、同じだよ。あれで、事故が起きるんだよ。渋滞に巻き込まれたら、まあ、呑気に構えることだね」
お父さんは、このような状況は冷静に受け入れるべきだということをエリックに教えました。また、その理由も説明しました。こんなお父さんの態度は、愚痴をこぼしたり、イライラしたり、他のドライバーに喧嘩を売ったりするよりも、ずっといいことは言うまでもありません。
ところで、人生には、なかなか冷静に待つことができない時もあるものです。たとえば、赤ちゃんの誕生を待っているとき、家族の誰かが手術を受けているとき、仕事の採用通知を待っているときなど――。このような大きな出来事には、とても心穏やかではいられません。しかし、これもまた人生の一部です。親がこのような状況にどう臨むか、それが子どもの手本となります。どうすれば、うろたえずに冷静でいることができるでしょうか。たとえどんな事が起こっても、落ちついて、事に備えたいものです。そのためのちょっとした工夫をお教えしましょう。まず、目を閉じてゆっくり深呼吸します。そして、気力、活力、幸福、理性--この四つをそれぞれ一つずつ吸い込む気持ちで深呼吸を繰り返します。いかがでしょうか。こんな簡単な深呼吸一つでも、ずいぶん気持ちが落ち着き、元気になるものなのです。
気を鎮めるもう一つの方法は「今自分にできる事は何か」と自問自答することです。
「今はどんな状況なのか。そして今、自分にできることは何か」
心配の種をくよくよ考えていてもしかたありません。何かほかのことをして気をまぎらわせることが大切です。ある女性は、生体組織片の検査の結果を不安な気持ちで待っていました。しかし、そんなことより、家じゅうの窓をみがいてしまおうと思い立ちました。
「窓をみがいている間は、検査のことを忘れていられたし、結局、家中の窓がピカピカになって、家も心も明るくなりました」と、その女性は語ってくれました。時には、子どもが力になってくれることもあります。ある若いお母さんは、五歳の娘さんにとても慰められたそうです。
「赤ちゃんが熱を出して、とても心配でした。そんな時、娘のモリーがわたしの肩を叩いて、『大丈夫よ、ママ。ジョニーはきっと良くなるから』と言ってくれたんです。お陰でわたしは気を取り直し、取り乱さずに済みました。娘のためにもジョニーのためにも、しっかりしなくてはと思ったのです」

待つことを自然から学ぶ

 幼い子どもには、どのようにして時間の観念を教えたらよいでしょうか。
たとえば、植物を育てさせて、時間の経過を教えるのも一つのよい方法です。子どもに、毎日植木に水をやらせるとします。すると、子どもは、小枝に芽がふき、若葉が育っていくようすを見ることができます。そして、時の経過を実感するのです。子どもは、生命が育つのには時間が必要であり、じっと待たなくてはならないのだということを、この経験によって感じ取ることができるのです。
一年生のトミーのクラスでは、トマトの苗木を育てていました。毎週、トミーは、お母さんに、苗木がどれだけ大きくなったか、だれが水をやったかを報告します。ある日、トミーは興奮して言いました。
「今日、棒を差したんだよ。蔓がからまるように」
お母さんは、トミーの話をきちんと聞いていました。しかし、家事のことも考えていたのです。
「いつトマトがなるの?」
お母さんは尋ねました。
トミーは、答えられませんでした。なぜなら、苗木が育っていくこと自体がうれしかったからです。トマトの実がいつなるのかは、トミーの念頭にはありませんでした。
「きっと、もうすぐ……」
お母さんは、ほかのことを考えていて、うっかりしてしまったと気づきました。息子のトミーは、苗木が毎日少しずつ育っていくことに目を見張り、その変化を楽しんでいたのです。トマトの実はいつかなるでしょう。けれど、それはトミーにとっていちばん大事なことではありません。トミーは、植物の命が育っていく全過程に胸をときめかせているのです。
「トミーはよく見ているわね。苗が大きくなっていくのを」と、お母さんは言いました。
「毎日毎日大きくなるんでしょう。すごいわね」
トミーはお母さんの顔を見て、にっこりしました。

共に生きる心

 自分とは異なった人々をどんな目で見、どう接するか。それは、その人の心の広さを映しだす鏡となります。心の狭い人は、人種、宗教、文化的背景の異なった人々を受け入れることができません。
親が差別的な言葉を口にしたらどうでしょうか。子どもは、たとえ漠然とであれ、その言葉の意味を理解し、親の真似をするようになります。
マイケルは五年生になりました。新しい担任の先生は、マイケルとは異なった人種の人でした。お母さんにはそれがとても気になるらしいのです。
「今度の先生はどう?」
お母さんは、しつこく聞いてきます。
「どんな本を読みなさいって言う? 特定の人たちだけひいきすることはない?」
お母さんはどうしてこんなにしつこいのかと、マイケルは思いました。
「後ろの黒板に好きなように絵を描いてもいいって言ったよ。休み時間には、外でいっしょに遊んでくれる」
お母さんはまだ不満そうです。
「本当にいい先生だと思うの? マイケルは、他のクラスに入れてもらいたくない?」
一体お母さんは何を言っているんだろうとマイケルは思いました。マイケルは最初、新しい先生が好きでした。でも、もうなんだかあまり好きではなくなってきたのです。次の日、学校に行っても気分はすっきりしません。なんだか先生は、本当に一部の人をひいきしているような感じもしてきました。先生は、お母さんの言うとおり、マイケルのことは好きではないようです。どうも、そんな感じです……。
もし、マイケルのお母さんに、人種差別についてどう思うかと尋ねたら、きっと「本当にひどいことです」という答えが返ってくるでしょう。けれど、このお母さんは、息子に身をもって人種差別を教えているようなものなのです。
二十一世紀を生きるわたしたちの子どもたちは、未来の世界を担っています。未来の世界は、地球レベルで異なった人種の人々が協力しあい共存してゆく世界です。子どもたちは、自分とは異なった肌の色や文化的背景や信条を持った人々と、仲良く暮らしていかなくてはならないのです。わたしたち親は、異文化に対する理解を深め、そこから学ぶ姿勢を、子どもたちに教えてゆきたいものです。

家庭生活で学ぶ

 子どもにとって家庭とは、人生で最初に出会う共同生活の場です。そんな家庭のなかで、子どもは、自分とは異なった人とどうやって仲良く暮らしていくかを学ぶのです。時には喧嘩をしたり、争ったりすることもあるでしょう。けれども、家庭生活は、違いを尊重し、受け入れ、そこから学ぶことによって、より豊かなものになるのです。親であることは、想像を絶するほど忍耐のいる仕事です。もしかすると子どもは、常に親の忍耐力を試しているのかもしれません。そう思えるくらいに、子育てには忍耐が必要です。子育ては、この世でいちばん大変な仕事だと言われているのも頷けます。
しかし、また、子育てほどやりがいのある仕事はほかにはないでしょう。子どもを慈しみ、立派に育てることほどすばらしいことはありません。けれど、そうとは分かっていても、どうしても、堪忍袋の緒が切れて、子どもに辛く当たってしまうこともあります。そして、一日に何度も子どもに謝りたいと思うこともあるでしょう。子どもは、そんな親の気持ちを分かってくれます。子どもは、靴がうまく履けずに癇癪を起こしたり、順番が待てなくてぐずったりするかもしれません。しかし、親に対してはこの上なく寛大なのです。
わたしたち親は、子どもに、たとえどんなことが起こっても、それを冷静に受けとめ、切り抜けていく忍耐力と広い心を持ってほしいと願っています。親自身が日頃から努め、和気あいあいとした家庭を作ってゆけば、それが子どもにとっての手本となり、今後の人生の糧となるはずなのです。

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