「励ます」という言葉の英語での元々の意味は「心を与える」というものです。子どもを励ますとは、子どもにわたしたちの心を与えることなのです。子どもが生活面でも精神面でも独り立ちできるようになるまで、子どもを助け、支えるのがわたしたち親の役目です。けれども、どこまで子どもに手を貸し、どこまで子どもの自主性にまかせるか。また、どんな時に誉め、どんな時に辛口の助言を与えるか――。それは、とても微妙な問題です。そしてそれは、頭で考えることではなく、心で考えることなのです。
子どもが何か新しいことを学ぼうとしている時には、子どもを支えるだけではなく、公平な評価をも与える必要があります。失敗した時には「もっと上手にできるはずだよ」と子ど励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
もを励まし、子どもの可能性を伸ばしましょう。そして、たとえ失敗した時でも親はいつも子どもの味方なのだということを教えてあげてください。
そのためには、その子はどんな欲求があるのか、何が得意なのか、何をしたいと思っているのかに十分に注意を払わなくてはなりません。子どもは、皆一人ひとり違います。人に何か言われるとすぐに挫けてしまう子、集中力のある子、人一倍支えや助けの必要な子、一人でやらせた方がいい子――子どもには、それぞれの個性があります。それを見きわめて、適切な助言を与えてほしいと思うのです。
子どもを励ます
たとえ結果がどうであれ、子どもが何かをやり遂げようと自分なりに頑張ったのなら、親はそれを認め、誉めることが大切です。
たとえば、まだ三歳のサマンサは、うまく弟の面倒をみることができません。でも、車のなかなどで、弟をあやして面倒をみようとします。そんな時、お母さんは、サマンサを必ず誉めるようにしています。
子どもをどのように励ましたらいいのかは、時と場合によって違います。子どもが挫けてしまわないように手を差し伸べたほうがいい時もあれば、一人でやり遂げるのを見守っていたほうがいい時もあります。しかし、いずれの場合にも、やさしい言葉をかけて、適切なアドバイスを与えることが大切なのです。
子どもがうまくできなかったとしても、親まで一緒に落ち込んではいけません。子どもがどこまで達成できたかに注目し、目標に向かって頑張ったことを誉めてほしいのです。
五歳のネーサンは、ブロックで塔を作っていました。倒れないように慎重に積んでいたのですが、微妙にバランスが崩れてしまいました。塔は崩れ、ネーサンはくやし涙を浮かべました。でも、お父さんは、そんなネーサンを励まして言いました。
「すごく高い塔を作れたじゃないか。ネーサンの背と同じぐらい高かったぞ。さあ、お父さんと、もう一度作ってみよう」
二人でブロックを積みながら、お父さんはネーサンに、どうしたら崩れにくく積めるかを示して見せました。お父さんは、まずネーサンの最初の塔を誉め、それから、崩れにくい塔の作り方も教えたのです。
このように、子どもの努力ややる気を誉め、その上で適切な助言を与えることが大切で す。子どもを励ますということは、ただ子どもを誉めていればすむことではありません。
十四歳のスージーは、歴史のレポートにセーレムの魔女裁判を選びました。スージーは、いろいろな資料を集めて、一生懸命取り組んでいます。お父さんはそれを見て、うれしく思いました。けれども、あまりにも資料を集めすぎて、スージーはどうしていいかわからなくなってしまいました。締め切りは二日後です。
「わあ、頑張ってるな。ずいぶんたくさん資料を集めたね」
お父さんは、スージーに話しかけました。
「うん。でも、集めすぎ。どうしよう」
「どれが一番役に立つ資料なんだい?」
お父さんは尋ねました。
「ねえ、スージー。まず、その資料だけじっくり読んで、時間があったら、他の資料にも当たってみたらいいんじゃないかな」
スージーは、なるほどという顔をしました。またやる気が出てきたようです。
「一番良かったのは、この三冊」。スージーは少しほっとしたように言いました。
「他のは後回しにする」
お父さんは、まさにスージーが必要だったアドバイスを与えたのです。お父さんには、スージーが行き詰まって途方に暮れていることが分かっていました。ですから、もう一度やる気を出して締め切りに間に合うように、適切なアドバイスを与えたのです。このようなアドバイスは、ただ「よく頑張ったね」と誉めるよりも何倍も役に立つものなのです。
気をつけたいこと
子どもに自分でやらせるべきだとわかってはいても、親は、ついつい手を出したくなってしまうことがあります。特に幼い子の場合は、自分でやらせるよりも、親がやってしまったほうが早いことが多いものです。子どもが少し大きくなってからも、本人が進んでやるようにしむけるのは、忍耐のいることです。しかし、たとえ子どもが幾つであれ、子どもにやらせるべきことは、親が手出しをしないように注意しなければなりません。年齢と能力に合わせて、子ども自身にやらせるのは大切なことなのです。親の役目は、子どもが自分でできるように励ますことです。
ビリーは、靴紐を結ぼうとしていました。でも、四歳の小さな指では、なかなか輪を作れません。見ていたお母さんはイライラしてきました。もう、とっくに出かける時間です。お母さんは、マジックテープの靴にすればよかったと後悔しました。
「ほら、かしてごらんなさい」
お母さんはそう言うと、ビリーの手をはらって紐を結んでしまいました。お母さんの手の動きは速すぎて、どうやって結んだのかビリーには分かりませんでした。自分で結びたかったので、ビリーは、せっかく結んだ靴紐を解いてしまいました。これで、ますます遅くなりました。結局、靴紐は解けたまま、お母さんもビリーも不機嫌になっただけでした。
このように、靴紐を結んだり、服を着たり、歯を磨いたり、部屋の片づけをしたりすることは、大人から見れば何でもないことに見えるでしょう。しかし、子どもには時間がかかるのです。親はその点に十分気を配らなければなりません。たとえば、朝、子どもを三十分、あるいは一時間早く起こすのは、かわいそうな気がするかもしれませんね。親も忙しくて気が回らないかもしれません。しかし、自分のことは自分でするということを子どもに学ばせるためには、子どもには十分な時間のゆとりが必要なのです。急いでやってうまくゆかずにイライラさせないためには、時間に余裕が必要です。
もう一つ気をつけたいのは、失敗してがっかりさせるのはかわいそうだと思って、ついつい過保護になってしまうことです。たとえ失敗したとしても、子どもが自分自身でやり遂げることに意義がある場合も多いのです。
六年生のエディーは、クラスの学級委員に立候補することにしました。ある晩、エディーが寝てしまった後、お母さんとお父さんはこんな話をしました。
「もし、選ばれなかったら、ものすごくがっかりすると思うわ」。お母さんは心配です。
「こんなことなら、勧めなければよかった」
お父さんは、笑いながら答えました。
「大丈夫だよ。いい経験になるよ」
お母さんは尋ねました。
「落選しても?」
「そのほうが、かえって、もっといい経験になると思うよ」。お父さんは言いました。
お父さんは、正しいのです。選挙の結果がどうであれ、エディーは立候補というこの経験から学び、成長することができます。選ばれれば、エディーは自信をつけることができますし、選ばれなかったとしても、目標に向かってベストを尽くしたという満足感が得られるに違いありません。このお母さんは、もうそろそろ、息子を保護するのではなく、息子が独り立ちするのを見守るというスタンスを取るべきなのです。
もう一つ気をつけたいことは、「やってみるだけでいいから」と言って、たとえば嫌いな野菜を食べさせたり、嫌がっていることを無理にやらせたりすることです。これでは、「ただちょっとやってみるだけでいい。後はどうでもいい」と言っているようなものなのです。子どもは、「ただやってみただけだから」と言い逃れして、最後までやり遂げる努力を放棄してしまうでしょう。
子どもが何か難しいことにチャレンジしようとしている時には、親は、子どもの可能性を信じることが大切です。ベストを尽くすように励ますことは、プレッシャーをかけることとは違います。きっとできると信じることが、子どものやる気を引き出すのです。どうせできっこないと親にあきらめられてしまったら、子どもはやる気を失ってしまいます。どんな子どもも、日々学び、成長しているのです。その子の持てる力を十二分に伸ばすことが、わたしたち親の役目なのです。
自分が叶えられなかった夢を、無理に子どもに実現させようとする親御さんがいらっしゃいます。わたしは、このような身勝手な期待を子どもに背負わせるのはよくないことだと考えています。
お母さんは、先生に頼み込んで、娘のティファニーを、無理やり上級数学のクラスに入れました。ティファニーは、難しくてついていけません。それでも、お母さんは決めてしまったのです。
「アイビーリーグに入るには、絶対このクラスに入らなくちゃならないのよ」
お母さんは言いました。
「ちゃんと勉強すれば、ついていけるわ」
ティファニーは、とてもみじめでした。アイビーリーグなんて、ちっとも行きたくありません。もし、お母さんが、もっとティファニーの身になってくれれば、ティファニーはこんなにみじめにはならなかったでしょう。数学で分からないところはどこなのか、なぜアイビーリーグに行くべきなのかをきちんと話していれば、ティファニーは納得して勉強することができたかもしれません。ところが、このお母さんは、娘はアイビーリーグに行くべきだと決めてかかり、数学が苦手なことも無視してしまったのです。これでは、ティファニーはプレッシャーを感じるだけです。お母さんは、勉強させようと娘を励ましているつもりなのですが、実際は、娘の気持ちを無視して自分の夢を押しつけているのです。
わたしたち親は、その子自身の人生、その子自身の考え方を尊重すべきです。もちろん、子どもは親と同じように考えるわけではありません。子どもは、それぞれ一人の人間として、その子独自の個性を持っています。子どものやりたいことをやらせ、子どもを支えていれば、親もまた豊かな経験をすることができるはずなのです。好きなことをしている子どもの目は輝いています。そんなイキイキした子どもの姿を見ることが親の本当の喜びではないかと、わたしは思うのです。
子どもには皆、夢がある
子どもの夢は無限です。どこまでも大きく膨らみます。たしかに、夢を叶えるためには多大な努力が必要ですが、人間は、夢があるからこそ努力を惜しまないのです。子どもは大きな夢を抱き、恐れを知りません。そんな子どもの夢のために、親は、現実的な目で子どもを支えたいものです。
子どもは大きな夢を抱くものですが、子どもにとっては大きな夢でも、わたしたち大人にはささいなことに見えるかわいい夢もあります。
「クリスマスツリーの飾り付けをしたい。わたしが、てっぺんにお星さまを乗っけるの」
三歳のサーシャは言いました。もうお姉ちゃんになったと思っているサーシャは、家族みんなの大切な行事で一役買いたいのです。サーシャは、もちろん、ツリーのてっぺんに手が届きません。でも、お父さんにだっこしてもらえば大丈夫です。
「それはいいわね」と、お母さんは答えました。「手が届かないじゃない」などとは言わなかったのです。サーシャのお母さんとお父さんは、娘の夢が叶うように手助けしました。実現するのが難しい大きな夢を抱く子もいます。途方もない夢を抱く子もいることでしょう。
トラビスは歌手になりたいと思っていました。でも、特別な音楽教育を受けたわけではありませんし、そんなに歌もうまくはありませんでした。けれども、お父さんは、そんな息子の夢を叶えてやりたいと思いました。お父さんは、マイナスの事実には一度も触れませんでした。お父さんは、息子には才能があると信じたのです。それにお父さんは、夢に向かって生きるのはすばらしいことだと思っていたのでした。
学校を卒業した後、トラビスはロサンゼルスに行き、ラップのナンバーを作って、バンドを結成しました。間もなくCDも出しました。トラビスは夢が叶ったのです。けれども、トラビスは、すぐに、自分には才能がないことを自覚せざるを得なくなりました。もうミュージシャンとしてやっていくことを諦めねばならないかもしれませんでした。けれども、大切なことは、トラビスは夢に向かって進んだということです。お父さんも息子の夢を信じて支えました。それこそが大切なことだと思います。たとえ今後ほかの仕事に就いたとしても、夢に向かって全力投球してきた過去は、決して無駄にはなりません。トラビスは、今まで悔いのない人生を送ることができたのです。もし、途中で諦めていたら、いつまでも後悔だけが残ったことでしょう。
子どもを丸ごと誉める
わたしたち親は、子どもの行動面だけでなく、内面的な成長にも目を向けなければなりません。なんていい子なんだろうと思ったときや、やさしさや思いやりや意志の強さなど、すばらしい心を見せたときには、その子を誉めましょう。子どもは、自分に対する親の評価をもとにして自己像を形成します。その自己像は、学校や地域社会や将来の職場での人間関係に大きな影響を及ぼすのです。子どもの長所を見つけ出し、伸ばすことができれば、子どもは、最良の自己像を持つことができるでしょう。
わたしたち親は、子どもが夢を叶えることができるように、子どもを支え、励ましたいものです。あくまでも子どもの意志を尊重し、子どものやりたいことを、やりたいようにやらせたいと思うのです。親の役目は、陰ながら子どもを支えることです。たとえどんなことがあってもこの子なら大丈夫だと信じることなのです。
もし、子どもが途方もない夢を抱いていたとしても、その夢を信じることです。子どもは自信を失いかけても、親に支えられれば、自信をとりもどすことができます。親が子どもを信じ、その子の夢、その子の力、その子のすばらしい内面を心から認め、子どもを支えれば、子どもは、自尊心のある強い人間に成長することができるのです。