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いとう女性クリニック

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子どもの事故防護活動 --- 子どもが育つ魔法の言葉

16. 子どもに公平であれば、子どもは、正義心のある子に育つ

 子どもにとって、公平と不公平はとても単純明快なことです。公平とは正しいこと、不公平とは間違ったことなのです。子どもの遊びの世界では、それがはっきりしています。ルールに従わずに不公平なことをすれば、仲間外れにされてしまいます。けれど、現実の人生には、そんなルールはありません。人生にも単純明快なルールがあったらどんなにいいだろう。それに従っていれば必ずうまくゆくルールというものがあれば……。そんなふうにわたしたち大人は時々思うものです。
わたしたち大人は人生の浮沈を経験しています。ですから、人生は思ったようにはいかないということを体で理解しています。しかし、子どもにはまだそれが分かりません。「そんなの不公平だよ」と素直にそう思うのです。
七歳のサリーは、近所の子どもたちと遊んでいました。ところが、カン蹴りでズルがあったのです。サリーは、お母さんに訴えました。こんな時、親は、
「しょうがないわよ。そういうこともあるんだから」
と、真面目に取り合わないことがあります。しかし、それでは子どもの怒りは収まりません。こんなときは、どんなズルがあり、どう感じたのかということを聞いてあげるべきなのです。ただし、子どもの不平不満だけを聞いているだけではいけません。
「どうすれば、そうならなかったと思う?」
「こんどからは、どうすればいいと思う?」
こんなふうに問いかけるのです。子どもが、次回からはうまくいくように頑張ろうと思えるように、話を持っていくことが大切なのです。
家庭内でトラブルがあったときも同様です。子どもの不満や怒りを聞き入れ、互いの考えや要望についてきちんと話し合うことが大切です。子どもには子どもなりの言い分が必ずあるものなのですから。
親は公平に接していると思っていても、子どもからすればそうは見えないこともあります。それも一理あるのです。大切なことは、誤解がないように子どもに気持ちを伝えることです。また、柔軟な態度で接することも大切です。子どもの話をきちんと聞き、子どもの意見を尊重すること。このことが、とりもなおさず、子どもに公平であるということになるのです。

子どもに公平に接するにはどうしたらよいか

「わたしは、自分の子どもたちには皆同じように接しています」
こんな親御さんの話を聞くたびに、わたしは、そんなはずはないと思ってしまいます。そんなことは、まず、無理な話だからです。もしかりにできたとしても、それが望ましいとも思えません。子どもはそれぞれ個性も性格も違います。ですから、その子に合った接し方をすることが大切なのです。ある子には十分なことも、別の子には不十分なこともあります。その子の年齢や性格に合わせ、また、その子が何を望み、どんな状態であるのかということを考えて、それぞれの子どもに合った接し方をすべきなのです。
親がどんなに気をつけていても、兄弟姉妹の間には、とかくライバル意識が生まれやすいものです。一見おもちゃや食べ物やお小遣いをめぐって争っているように見えるかもしれません。が、実は、子どもたちは親の愛情をめぐって争っているのです。親がどの子に関心を示し、手間暇をかけているかに、子どもはとても敏感です。子どもは皆、自分も他の子と同じように大切にされ、愛されたいと思っているのです。
子どもが不満を訴えてきたら、親は反省しなくてはなりません。兄弟姉妹が張り合うことはよくあります。また、親も比べてしまうことがよくあります。これらは、ある程度しかたのないことともいえます。けれど、親は、自分では気づかぬうちに、子どもを追い詰めていることがあるのです。一見何気ないことでも、子どもの心に暗い影を落とす結果を招いてしまうことがあります。たとえば、どっちが早くお手伝いを済ませるか、宿題をやるかを競争させたりすることはありませんか。どっちが速いか、どっちが勝ったかという考え方は、家庭の場に持ち込むべきではないと、わたしは考えています。家庭とは、競争原理で動く場であってはならないからです。ほかの子と比べてではなく、その子自身のよさを認めてあげることが何よりも大切なのです。
そんな兄弟姉妹の間の不満を解消するためには、それぞれの子どもと二人きりになれる時間を作るのも一つの名案です。わたしの知り合いのある親御さんは、四歳と六歳と八歳の三人の男の子がいます。それで、喫茶店でモーニングを食べるなど、簡単な食事を順番に一人ずつ外でするようにしているのです。ふだん家では聞けないようなことを、子どもはこんな時なら話してくれます。学校のこと、友だちのこと、兄弟のことなど。子どもは親と二人きりなら何でも話せるのです。こんな習慣をつけていれば、子どもが十代という難しい年代に入ってからも、うまくコミュニケーションが取れるはずです。子どもは、親と二人きりになることによって、自分は親に大切にされていると実感することができます。これはとても大事なことです。もちろん、必ずしも外食をする必要はありません。家から離れるということがポイントなのです。二人で散歩をしたり、博物館に行ったり、公園でボートに乗ったりするのもいいでしょう。大切なのは、親が自分だけのために時間を作ってくれている、自分のことだけを見てくれていると、子どもが感じることなのです。

間違っているとはっきり言える人間になるために

 学校生活のなかや友だちとの関係で、不正が行なわれていると感じたとき、はっきり抗議できる子--わが子はそんな子どもに育ってほしいものです。そのためには、まず家庭で訓練しなくてはなりません。家庭で自分の訴えを日頃から聞き入れられていれば、子どもは、外でも自分の言い分をきちんと伝えようとします。自分の言い分をきちんと相手に伝えれば物事は改善できるのだということが、日頃の家庭生活で身についているからです。
「ぼくは、もう大きいんだから」
夕食の後、九歳のアンディはそう訴えました。
「友だちはみんな、好きなだけ遅くまで起きているんだよ」
「好きなだけ遅くまで?」
お父さんは眼鏡ごしにアンディを見ました。
「少なくともぼくよりは遅くまでね」
「毎朝ぎりぎりまで寝てて、ママに起こされてやっと起きる人は誰でしょうね」
お母さんが言いました。
「ぼくだけど」
「今でさえそんな調子で、どうするつもりだい」
お父さんが言いました。
「じゃ、土曜日とかは?」
アンディは尋ねます。
「そうね、土曜日ならいいわね。何時まで起きていたいと思うの?」
お母さんは、何時まで起きていたいかをアンディに自分で決めさせることにしました。自分で決めれば、アンディも納得し、自分の決めたことには責任を持つこともできると思ったからです。
「八時間は眠らなくちゃならないから……」
アンディは考えて、時間を決めました。
「それでいいよ。そうしなさい」
お父さんも賛成しました。
「わーい」
アンディは不公平だと思っていた寝る時間を変えることができて、満足しました。子どもが訴えてきたら、親はきちんと子どもと向かい合わなくてはなりません。そうしなければ、子どもは恨みをためたまま親の言うことに従うことになってしまいます。これでは、親子の間に溝ができてしまいます。子どもの言い分を聞かずに家庭内のルールを押しつけるのはよくないことです。自分の意見や考えが聞き入れられる家庭で育てば、子どもは、間違っていると思ったことをはっきり主張できるようになります。そうすれば、自分の考えを伝え、物事を前向きに改善してゆける子になるのです。
ある日、四年生のベティが、目に涙をためて学校から帰ってきました。
「先生は、一度も当ててくれないの」
ベティはお母さんに訴えました。
「わたしは答えが分かってるのに、手をあげても無視するの」
心配そうに聞いていたお母さんは言いました。
「先生はだれを当てるの?」
「男の子ばっかり。答えは全然合ってないのに」
ベティは恨めしそうに答えました。
「女の子は当てないの?」
「うん、あんまり」
ベティはちょっと考えていましたが、明るい声でこう言いました。
「わたしだけじゃなかったんだ。あの先生、女の子は当てないのよ」
「それは、おかしいわね」
お母さんは言いました。
「どうしたらいいかしらね。あなたはどう思うの?」
「お母さんが、先生に手紙を書いてくれたらいいんじゃないかな」
「そうね……。ほかに、何か手はないかしら?」
「お母さん、先生に会って話してくれる?」
「それがいいわ。三人で話すのが一番いいんじゃないかしら」
お母さんは、ベティの話を聞いてあげただけでなく、実際に行動してなんとかしようと思ったのです。ベティは、こんなお母さんの姿から、問題があったら行動して解決することの大切さを学んだのです。

勇気のある行動

 子どもは、誰かがひどい目に遭っているのを目撃したり、逆に自分が被害者になる体験をすることもあります。学校の先生やスポーツのコーチがえこひいきする場合もあるかもしれません。また、いじめの対象になってしまったり、友だちがいじめられているのを目撃することもあるでしょう。
不公平なことが起こったら、きちんとそれを解決してゆく習慣が、日頃から家庭で身についているでしょうか。そんな家庭で育っていれば、子どもは、外の世界でも同じように行動することができるのです。
ある朝のことです。学校に向かっていた十歳のマイケルは、校庭の駐車場の隅で同じクラスの男の子たちが、一人の男の子を取り囲んでいるのを目にしました。みんなで、その男の子をいじめているようです。その子は人種の違う子でした。
マイケルは、どうしよう、と迷いました。彼は意を決して、男の子たちのほうへ行き、いじめられている子を呼びました。
「トム、早くしないと学校に遅れちゃうよ」
トムを囲んでいた男の子たちは、驚いて一斉に振り返り、マイケルのほうを見ました。そのすきに、トムはマイケルのほうへ走りより、二人で校門へと駆けていくことができました。
本当はマイケルは怖かったのです。ただ声をかけるだけであれ、一人で多数に向かうのは勇気のいることです。見て見ぬふりをすることもできたでしょう。ところで、マイケルは、この話を誰かに話すでしょうか。わたしはきっと誰にも話さないと思います。子どもは、家庭の外の世界であったことをすべて親に話すわけではありません。けれども、もしマイケルの両親がこれを知ったら、とても誇らしいと思うことでしょう。こんな勇気のあるやさしい子に育ってくれたことに感謝するのではないでしょうか。
子どもは、どうしようもない世の中の不正を目のあたりにすることもあります。十三歳のステラは、ある晩、両親とテレビでニュース特集を見ていました。その中に、劣悪な労働条件に苦しむ外国人季節労働者の姿が映し出されました。ステラはひどくショックを受けたようでした。
「あんな暮らしをしているなんて、ひどすぎる。どうして、もっとお給料を上げて、いい家に住めるようにしてあげないの。あの人たちのお給料よりも、シモンさんのベビーシッターでわたしがもらった時給のほうが高いなんて……」
両親はなんと答えていいのか分かりませんでした。しばらくしてから、お母さんが言いました。
「本当にステラの言うとおりよ。世の中は間違ったことだらけなのよ。悲しいことに」
「でも、なんとかならないの?」
ステラは真剣です。
「あの人たちが、もっとお給料をもらえるように、法律を作ったらいいんじゃない?」
「確かにそうね。きっとそういう動きはあると思うわ。でも、今すぐステラにも何かできる
ことがあるんじゃないかしら?」
「うん……。でも、あの人たち、遠くに住んでるし。お金を送ったらいいのかな……」
「労働者を支援する団体があると思うよ」
お父さんが声を上げました。
「ホームレスの人や飢えている人に支援団体があるようにね。赤十字のこともステラは知っているだろう。外国人労働者を支援する団体もきっとあるよ。あの番組のテレビ局にオンラインで問い合わせてみよう」
「それがいいわ」
お母さんも賛成しました。
「そうしたら、ステラ、団体に寄付する?」
「寄付って、わたしのお小遣いをってこと?」
「ええ、そうよ。お母さんもステラと同じ分だけ寄付するわ。いや、ステラの二倍寄付するわ」
ステラはちょっと考えています。
「ステラ」
お父さんは、やさしい声で言いました。
「困っている人たちを助けたかったら、自分のことは我慢しなくちゃならないんだよ」
しばらく考えてからステラは言いました。
「お小遣い一週間分、寄付する」
「そうか。じゃ、テレビ局に問い合わせてみよう」
お父さんはそう言うと、腰を上げました。
「ステラは、いい子ね。お母さんはうれしいわ」
お母さんは、そう言いながら、娘の肩を抱きしめました。
両親の協力を得て、ステラは微力ながらも自分なりに世の中のために何かしようと思うことができました。自分一人が何をしても、どうせ世の中は変わらないと諦めたりはしなかったのです。

正義感の大切さ

 子どもの正義感を育てるというと、何か大それたことのように聞こえるかもしれません。
しかし、正義感は、何気ない日々の暮らしのなかで培われるものです。親が、子どもを一人の人間として認め、公平であろうと努めていれば、子どもはその親の姿から学びます。やがて子どもは巣立ち、広い社会で独り立ちするときがやってきます。そのとき、どこまで世の不正を憎み、正義を貫くことのできる人間になれるか、それは決してたやすいことでありません。しかし、勇気をもって正義を貫くことは、人間として知ってほしい、きわめて大切な使命だとわたしは思うのです。

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