婦人科 京都 健康スポーツ医。いとう女性クリニック 京都では、腹腔鏡下手術、子宮内膜症・卵巣嚢腫、子宮筋腫、月経不順、ピル・アフターピル処方、更年期障害の診察・診療をいたします。土曜・日曜診療有り。

いとう女性クリニック

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子どもの事故防護活動 --- 子どもが育つ魔法の言葉

13. 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

 みなさんは、今までに、たとえば目覚まし時計や洗面所の鏡や部屋の扉などに、何かメモを貼りつけておいたことはありませんか。そして、すぐに見慣れてしまって、もうその存在にすら気づかなくなってしまったことはないでしょうか。たとえば、冷蔵庫のドアに「太りすぎ、注意!」と貼っておいて、まったく効き目がなかったことはないでしょうか。いつも見慣れているものには、わたしたちは注意を払わなくなってしまうのです。
 あなたのお子さんに対しても同じことが言えるのではないでしょうか。子どもの存在があまりにも当たり前のものになり、なんとも思わなくなってしまうのです。わたしたちは、毎日、子どもを学校に送り出し、ご飯を食べさせ、身の周りの世話をしています。けれど、本当に子どものことを見つめ、分かっているかといえば、さて、どうでしょうか。
 もう一度、改めてあなたのお子さんを見つめてみてください。子どもは日々成長し、一日として同じではありません。赤ちゃんは、あっという間によちよち歩きを始めます。お兄ちゃんは、小学校に上がったと思ったら、もう卒業です。お父さんやお母さんは、そんな子どもの成長を、いちばん身近な存在として毎日目にしています。にもかかわらず(むしろ、だからこそ)、子どもの成長のひとこまひとこまに目をとめることなく過ごしてしまうことがあるのです。ときには、立ち止まって、子どもの姿を見つめなおしてほしいのです。
 その気になれば、すぐにできることです。親の視線は子どもに伝わります。子どもは喜ん
で、やる気を出すことでしょう。
 ある秋の日の午後のことです。公園を散歩していた四歳のエリザベスは、お母さんの袖口を引っぱって言いました。
「あっちに行って、大きな葉っぱを拾ってもいい?」
「もうたくさん拾ったじゃない。それに、あそこの葉っぱは濡れているわ」
 お母さんは答えました。
「だって、あっちのは、まだ拾ってないんだもん。エリザベスのコレクションには、いるんだもの」
 エリザベスは真剣です。
 お母さんは、驚いて娘の顔を見ました。落葉を拾っているのには気づいていました。でも、落葉を「集めて」いるんだなんて思ってもみなかったのです。それに、「コレクション」という言葉の意味を知っていたことにも驚きました。お母さんは立ち止まり、エリザベスの手のなかの落葉をしみじみ見つめました。こんなにお利口になって……。そして、樫の樹のほうへ走っていくエリザベスの後ろ姿を目を細めて見送りました。二人は、それから、樹の名前や葉の色や大きさについて楽しくおしゃべりをしながら家路をたどりました。
 子どもを見つめ、話に耳を傾ければ、子どもの心が理解できます。子どもが何をどのようにしたいと考えているのかがよく分かることでしょう。それが分かれば、親は、子どもに手を差し伸べることができるのです。

目標をたてることの大切さ

 赤ちゃんがはいはいし、初めておもちゃに手を伸ばし、?み取る瞬間は、人間が目標に向かってゆく行為のはじまりです。親は、そんな赤ちゃんの姿を見つめ、手を叩いて「よくできたね」と誉めることでしょう。
 何かをやり遂げるには、目標を決めて努力を重ねなくてはなりません。それを、幼い頃から子どもに教えてゆければ、と思います。そして、子どもが実現可能な目標をたてることができるように、具体的なアドバイスや手助けをしたいものです。子どもを励まし、支えることを忘れてはなりません。
 上手に目標をたてるためには、まず、本人が何をしたいのかをはっきりさせることです。次に、そのためには何をしたらいいのかを具体的に考えてゆきます。親は、子どもの話をよく聞いて、一緒に考えてください。実際に行動に移す段になったときには、AをすればBという成果が上がり、その結果Cになるという、物事を一つひとつ積み重ねてゆくことの大切さを教えてほしいと思います。
 これは当たり前のことのように聞こえるかもしれません。が、わたしたちは、大人でも、案外きちんと考えずに何かを始めて失敗することがあります。そして、結局うまくゆかずに途中で投げ出してしまうのです。きちんと目標をたて、計画的に物事をやり遂げる態度をわたしたち親自身が示し、子どもの手本になれればと思います。それは、たとえば壁にペンキを塗る、庭に木を植える、キルトを縫うといった日常的なちょっとした場面でも示すことができます。子どもは親のやり方をよく見ているものなのです。
「旅は、その第一歩を踏み出すことが大事」という諺があります。子どもが目標をきめて頑張っているときには、まさにこの諺が当てはまります。子どもが踏み出した第一歩に気づき、評価してほしいのです。
 五歳のジャクリーンは両親のベッドのベッドメーキングをして、二人を驚かせたいと思いました。ベッドの周りを行ったり来たりして、なんとか上手にできあがりました。お母さんとお父されは』よくできたね。助かったわ」とお礼を言いました。ジャクリーンは嬉しそう に飛び跳ねながら部屋を出ていきました。そこでお父さんは、ベッドカバーの皺を伸ばそうとしました。
「触っちゃだめ!」
 お母さんは、笑いながら止めました。
「せっかくジャクリーンがやったんだから、そのままにしておかなくちゃ。あの子のためにね」
「そうだね」
 お父さんも気がつきました。ベッドの皺を伸ばすことよりも、娘のしたことを喜ぶことのほうがずっと大切なのです。

積み重ねの大切さ

 努力をすれば成果が上がるということを、幼い頃から理解できている子どももいます。たとえば、ピアノにしろ運動にしろ、練習すればするほど上手になる、ということが分かっているのです。一方、そうではない子もいます。そのような子は、何かが上手な友だちに心からびっくりしてこう尋ねることでしょう。 「すごい! どうしてそんなことができちゃうの?」。友だちが陰で努力しているなんて思いもよらないのです。親はそういう子にこそ手本を示して、何事も一つひとつの積み重ねが大切なのだということを教えなくてはなりません。
 エリザベスとクララは十二歳。二人ともフィールドホッケーの合宿に行くことになっていました。二週間にわたるハードな合宿です。クララは一カ月前から毎朝トレーニングを始めて、五キロも走れるようになりました。一方、エリザベスは、実際に合宿に行けばなんとかなると高を括って何もしませんでした。
 お母さんは、そんなエリザベスが心配でした。しかし、エリザベスは、親に何か言われるのが大嫌いな性格です。それで、お母さんは、うるさい事は一言も言わず、代わりに合宿についていろいろ尋ねてみました。エリザベスの自覚を促そうとしたのです。
「一日に何時間フィールドホッケーをするの?」
「コーチからは、合宿のためにどんな準備をしておきなさいって言われたの?」
 このお母さんは、「トレーニングしなさい」とは決して言いませんでした。高圧的な態度も取りませんでした。お母さんは、エリザベスが自ら準備をしなければと思うようにしたのです。こうして、お母さんと話をしているうちに、エリザベスは、トレーニングを始めようという気持になったのでした。

お小遣いの大切さ

 子どもが、お小遣いをもらって初めて気づくことがあります。それは、物の値段や貯金の大切さといった「お金の価値」です。子どもは、お小遣いをもらうことによって、お金の使い方を自分で考えるようになるのです。たとえば、お菓子を買いたいところを、じっと我慢して少しずつ貯めていけば、いつかコンピューターゲームやお人形や自転車など、もっと高価で本当に欲しいものが買えるようになる――そんなことが分かるようになります。また、欲しいものを自分で選んで買うようになり、自立心も育ちます。たとえば、テレビゲームが欲しいけれど、親には買ってもらえないとしたら、子どもはどうすると思われますか。お金を貯めるということを学んだ子どもならば、きっとお小遣いを貯めて買うに違いありません。これなら、欲しいものをめぐって親と喧嘩をしなくてもすみます。
 どのようにお小遣いを与えるかは、家庭によって様々でしょう。家事の手伝いをしたらお小遣いを与えることにしている家庭もあれば、普段から一定のお小遣いを与え、特別な手伝いをしたらボーナスを与えることにしている家庭もあるでしょう。
 わたし自身は、お小遣いは、食事の後片づけや掃除やペットの面倒をみることなど、家庭生活の基本的な仕事に対する見返りとして与えるべきではないと考えています。こういう仕事は、家族の一員として当然協力すべき事柄だからです。わたしは、お小遣いとは、子どもも家族の大切な一員として認めるという意味で、家の収入の一部を子どもに与えるものであると考えています。
 十二歳のサムは、この春、スケートボードが買いたくて、冬の間ずっとお小遣いを貯めていました。両親は、スケートボードは贅沢品だと思っていました。そこで、サムに自分で買わせることにしたのです。サムも文句はありませんでした。けれど、四月になった今でも、まだ二十ドル足りません。サムは気が気ではありませんでした。そんなサムにお父さんは言いました。
「ずっとお金を貯めて、えらかったよ。足りない分は、何かアルバイトをして稼いだらどうだい」
「でも、まだ、芝刈りには早いでしょう?」
 サムは残念そうに言いました。
「うん、そうだね。でも洗車にはもってこいの季節になってきたよ。冬の間の挨をきれいに洗ってあげたら、ご近所のみんなもきっと喜ぶんじゃないかな」
 お父さんはいいことを言ってくれました。サムの表情はぱっと明るくなり、こう叫びました。
「そうだね。春が来たんだから、車もピカピカにしなくちゃね!」
 サムは近所を回って、六台も車を洗いました。弟も助手に雇いました。
 サムのお父さんは、息子が今までお小遣いを貯めてきた努力を買いたいと思いました。そこで、足りない分を稼ぐというアイデアを出したのです。サムは、こうして、貯金することとお金を稼ぐことの大切さを学ぶことができました。

子どもの夢を分かち合う

 わたしたち親は、日頃から、子どもの努力を認め、うまくゆかない時には励ましてあげなくてはなりません。そうしてこそ、子どもは、夢に向かって頑張る子に成長できるのです。
 子どもと夢をわかちあうチャンスは、ちょっと気をつけていれば、いくらでも見つかるものです。
 ある日の午後、わたしの家の玄関のチャイムが鳴りました。扉を開けてみると、四人の子どもがニコニコして立っていました。それは、近所の八歳の女の子とその子の友だちでした。四人とも、色とりどりの編み紐の先に紙粘土の玉とビーズがぶら下ったものを手にしています。
「わたしたちが作ったの。一ついかがですか。たった五十セントです」
 子どもたちは言いました。その熱意に負けて、わたしは二つ買いました。
 それは、今、食堂のガラス戸越しに揺れています。ビーズに朝日が差して、キラキラ光っています。でも、これは一体なんなのでしょう……。わたしは、あの小さな売り子さんたちを応援したくて、これを買いました。そして、今、このビーズの飾り物(?)を見ていると、心が和み、思わず微笑んでしまうのです。

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